

『レモン哀歌』

ささやかなことばの展覧会、記念すべき第一回目の作品「レモン哀歌」。
このプロジェクトは、新型コロナウイルス による自粛期間中に完全なるリモートで生まれました。
あるzoomの会合で久し振りに吉原光夫さんと会いました。
今現在の演劇のこと、お仕事のこと、つらつらと話しました。
その中で納得する演劇作品を創ることが難しくなった今、もちろん苦しいことではあるけれど、これを機にこれまで触れてこなかった"詩"という媒体に演劇表現だけではない方法でアプローチしてみるのはどうだろう、という話になりました。
これはどうやらおもしろそうだ。誰が見るかは分からないけれど。
まずはとりあえずやってみようと、勢いと勇気で始めてみたのでした。
まず、一度も会わずに作品を作るために、今回はzoomでのお稽古を重ねました。
「レモン哀歌」という詩を真ん中に置いて、一つ一つの言葉を顕微鏡で拡大するように読み解きます。
「レモン哀歌」は高村光太郎が妻、智恵子に宛てた詩であると同時に、光太郎自身が生きていくための詩。吉原さん自身がどの時点の誰の目線でどのような時間を思い巡らせて読むのか、回を重ねていくごとに明確にする。
想像力を膨らませて、光太郎像を作る。数式を解くような興奮する作業です。
そして、輪郭が整ってきたところで、録音作業。
今回は完全リモートなので、
私のお家から録音マイク一式を吉原さん家へ送りつけ(お騒がせいたしました)
そして録音準備も全て吉原さんの手で行われ(お騒がせいたしました)
触ったことのないマイクをいとも簡単に準備してしまう吉原さんの神の手により
見事なスムーズさで録音が終了したのでした。


もう完成はすぐそこだね!
と思ったのもつかの間、詩に絵をつける難しさを甘く見ていた稲葉は、
ここから、時につまづき吉原さんの助けを請いながら長い時間かけて一枚一枚の絵を描いていきました。
レモン哀歌の語られている、記憶が儚く捲られていく様をいかに画面に落とし込もうかと試行錯誤しながら作業が進み、最終的には216枚の絵から連なる作品になりました。
食べ物の記憶と死の関係は、とても身近でとても生々しい。
光太郎の詩は死を詠いながらも、強かに生きていくための詩だと言った
吉原さんの言葉が印象的でした。